目の眼京都迷店案内

其の六拾六茶絲道(チャースールー)

2022.07.15

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2022年5月15日、堀口一子さん主宰の自然茶会が三井寺で行われるというので、その様子を拝見するためにお伺いした。三井寺は正式には長等山園城寺といい、滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山であり、大津市歴史博物館はその三井寺の北側にある。会場の唐院は重要文化財に指定されており、修行僧の道場でもある。その神聖な場でお茶会は行われていた。

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「大津の家に住みながら、お茶のご縁を頂いたところをいろいろと訪ねていたのですが、コロナでそれが出来なくなると、じっとしていられなくてよく近所を散歩をしていました。三井寺は家のすぐ側でしたし、桜の名所ですから散歩をするのにとても素晴らしい場所でした。歴史博物館の裏側に自然遊歩道があって、そこを歩いていると茶畑らしき跡がありました。嘗てはお茶の群生地だったんですね。 そこが三井寺の管轄らしいということがわかったので、ある時、三井寺さんにお茶を摘んでも良いですかと問い合わせたところ、最初は名乗らなかったので不審者のように思われたんですが・ 笑。それでも許可を戴いたので、出来上がったお茶をお供えするという形で、お届けに行った時にお相手してくださったのが、福家(ふけ)俊彦さんという方でした。とても気さくな方で、スーツ姿でしたから私は最初は事務の方だと思っていたのです。実はその後、長吏になられた三井寺で一番偉い方でした。お茶が大好きだと仰るので私も嬉しくなって、その時作っていた烏龍茶を持って伺いました。お茶を淹れながら、お話をさせて戴き親しくなりましたが、三井寺さんもコロナ禍で比較的お時間に余裕があったんでしょうね。ゆっくり話す機会があった時に、三井寺の中にもお茶の木があると教えてくださり、さっそく見に行かせて戴くと普段では入れない裏山にお茶の木が沢山あるということが分かりました。ちょうど摘み頃というか、ピークを過ぎかけている茶の木があったので、それから毎日のように摘みに通い、お茶を作りました。それが2020年のコロナ禍の真っ只中のことでした」  

堀口さんがスルッと三井寺の懐に入って行ってしまうことになるのに、ほとんど時間は掛からなかった。

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「他でもいろいろお茶作りしてきましたが、三井寺のお茶は品があるというか、特別な感じがしました。古い木だからでしょうか、余韻があるお茶に仕上がり、神聖な空気を吸っている気がして。これは自分だけが味わうものではなくて、次の世代にまで伝えないといけない、と本当にその時思ったんです。そのためにお茶会をさせて戴くことになりました。さっそく2020年の7月に座禅(天台宗では止観という)をしてから、お茶の木を見学し、その三井寺でできたお茶を飲むという止観(しかん)茶会というのを開催しました。私は野放茶と呼んでいるんですけれど、茶の木が自然な状態で育っているというのは、やはり特別なんですね。三井寺さんに古い茶の木がある、それは大事な仏像が出てきたというくらいの宝物だと私は思っています。その価値を、福家さんたちも分かってくださっていて。今、ご子息の俊孝さんがお茶作りに嵌ってくださり、お茶会でもいろいろとご協力戴いていて、とてもありがたいことだと思っています。私の亡くなった父の名前が俊彦だったので、そのご縁にもびっくりしています。そしてこのようなご縁は、自分の意思とはかけ離れた何か大きな力に動かされているような気がします」

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今やすっかりお茶人として活動されている堀口さんではあるが、お茶を生業にしたきっかけは何だったのだろうか。 堀口さんは生まれも育ちも滋賀である。短大を卒業した後、アルバイトをしていた雑貨屋で働きながら、大阪造形センターというアートスクールに通っていた。その学校はさまざまなアーティストや編集者など著名な方たちが関わっていた。そこで受けた刺激や人脈はとても大きかったという。そんな中で、中国茶と茶道も同時に学びながら、自分らしいお茶の道を求めて、紆余曲折の人生を歩み始まることになる。県の職員や派遣社員、茶舗の販売員などいろいろな仕事をしながらお茶の道を模索するも、なかなか思い通りにならない時期が続いていた。 

私が堀口さんに初めてお目にかかったのは、かつて祇園にあった竹工芸のお店であった。これ が堀口さんの最後のアルバイトとなり、辞めた直後に高台寺和久傳から「白(はく)」というおもたせのお店を出すので、来れる時にお茶を淹れてもらえないかという話を戴くことになる。それが4年前のことだった。「白」に一子さんの「一」を加えて「百の日」と名付けられた。私は九十九髪(白髪)を想起したのであるが、なんて素晴らしいネーミングなのだろうと私は想った。その後にコロナ禍がやって来て、お茶の仕事はキャンセルが続くが、「白」の仕事は2回ほど休んだだけで継続されていた。それはどんな時でも決められた日時には必ずお店は開ける、という和久傳の方針もあったという。堀口さんの姿を拝見していると、「白」の空間にぴったり嵌まっている。お店を作る時に、すでにそこに組み込まれていたように。その辺りから風向きが変わったのであろうか。自宅から歩いてすぐの三井寺の茶の木に出合うのだから、人生とは本当に不思議なものだ。

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堀口さんは今、京都・滋賀はもちろんのこと、ご縁があり、よばれた地へお茶を淹れに行っている。「自分が本当にお茶が好きで、お茶に助けられたりした経験から、その素晴らしさをまだ知らない人に届けたいという気持ちが強いのです。教室とかお茶会をやりながら思うのは、2時間程、しっかりお茶を飲んで戴くと、本当に皆さんが解けていくのがよく分かるんです。今まで疲れ切った人が元気になったり、喜んでもらえる姿を見るのが私自身一番嬉しい。お茶を届けるということが自分のやるべきことだと、今は確信しています。それはある意味、コロナのおかげというと語弊があるかもしれませんが」  

お茶に関わっている方たちにとって、お茶会やお茶事ができないことがどれだけ辛いことか、この3年くらい間近で見てきた。間違いなく京都を支えている柱の一つにお茶がある、お茶をやらない私でさえそう思うのだから。

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どんなに才能のある人でも、それを認め、引き立ててくれる方がいなければ前に進むことは出来ない。どんな方と巡り逢えるかで、その人の人生は大きく左右されることをこの連載をさせて戴いて良く感じることである。どんな人にも師と呼べる方はいるのだ。堀口さんにとってもお茶をめぐる日々の中で、いくつかの大きな出逢いがあったという。そしてお茶で生きると覚悟を決めた時に声をかけてくれた「白」との出合いが三井寺とのご縁に繋がり、今また次の段階に向かっているようにみえる。お茶の木は堀口さんに何をさせようとしているのか、茶心のない私ではあるが、一人のファンとして愉しみにしている。

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(上野昌人)

店名 茶絲道(チャースールー)
住所 >>Google Mapへ
電話番号
URL www.instagram.com/explore/tags/茶絲道/