目の眼京都迷店案内

其の六拾七上方銀花

2022.08.16

kamigata-ginka

手仕事や工芸に興味のある人にとって季刊「銀花」は、別冊「太陽」と並んで忘れることの出来ない雑誌である。多分、お気に入りの特集号の何冊かは本棚にあるのではないだろうか。1970年に文化出版局より刊行された「銀花」は独特の切り口もさることながら、杉浦康平さんのグラフィックデザインが印象的な雑誌でもあった。今でもファンは多いと聞く。

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大阪にその「銀花」の名前を戴く「上方銀花」というお店があるのを知ったのは、ずいぶん前のことであったが、なかなか訪れる機会に恵まれなかった。東大阪市の花園ラグビー場の南側にある東大阪市民美術センターでは、嘗て「河井寛次郎の陶芸〜科学者の眼と詩人の心」展や「棟方志功 祈りと表現」展、「濱田庄司と芹澤銈介」展も開かれており私も何度か足を運んでいたのだが。また河内小阪には司馬遼太郎記念館や、喫茶美術館という須田剋太や島岡達三の作品が展示されている不思議な喫茶店もあり、この地域に住んでおられる方たちの芸術に対する意識の高さを窺わせる。

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近鉄奈良線・河内小阪駅には大阪難波駅から普通電車で6つ目、京都からだと大和西大寺駅で奈良線に乗り換えて、生駒山を越え大阪に向かう。乗車しているのは1時間半弱、意外に近いことに驚く。河内小阪は司馬遼太郎記念館に来て以来であるが、学生時代を大阪で過ごした私にとって懐かしい匂いのする街だ。駅前の商店街を抜けて、3分ほど歩くと大型マンションの一階に「上方銀花」はあった。

「上方銀花」は神立(こうだち)順子さんと娘の神立麻衣さんによって営まれているギャラリーである。神立という印象的な名前は、八尾市に現存する地名から来ていて、神立家もここの出だという。順子さんが10代目に当たるそうで、今の場所に移ってから既に二百余年になるのだという。順子さんの父上によって「上方銀花」は創設されて、今年で36年目を迎えた。

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「銀花」を名乗るには、どんな経緯があったのであろうか。

「事情があって私が30代前半で私が離婚した時に、娘の麻衣は1歳7ヶ月でした。実家に戻って教師をしていたのですが、上からものをいうことに違和感があって、何か自分の一生をかけてできる仕事を模索していました。その時に姉が、一番難しい仕事をしようと言いだしまして。場所とお金があったら簡単に始められる仕事はあるのですが、そんなんは絶対ダメだって。人がやりたがらない、難しい仕事に挑戦するのが神立家のポリシーですから。神立家全員が漆も好き、陶器も好き、着物や布も好き。工芸品や手仕事のモノを買うことは大好きでしたが、売ることはしたことがない。母もキモノを着てお店番するだけと考えていたのですが、実際にやってみたら予想以上に大変でした。
 お店の名前を考えた時に、その頃、工芸や手仕事といえば季刊『銀花』です。その名前を使わせて戴けないかと、母と姉が、こういうコンセプトでこんな店をしたいというのを文化出版局に企画書を出して、姉が一所懸命プレゼンしたのです。『上方銀花』と名付けたんは私です。私は、もともと歌舞伎が好きでした。そやから大阪とか関西とかではなくて、文化と言ったら上方です。私が『上方銀花』がいいと言ったら皆んなが賛成してくれて。娘の誕生日に会社を起こし、お店のオープニングの時には文化出版局の方々を始め、季刊『銀花』の編集長にも来て戴きました」。

家族一丸となってお店をオープンしたのは、昭和62年(1986)の9月11日のことであった。

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「上方銀花」のウェブサイトを見て戴くと分かるように、 取り扱い作家はベテランから若手まで力のある方々が勢揃いしている。その所為でもあるのだろう、ほぼ月に2度の企画展と常設のスペースは多くのお客様でいつも賑わっている。そして常に笑い声が絶えないのも、このギャラリーの特長だろうか。それは順子さんの父・悦二さんの影響であったという。

「父は特攻隊の生き残りでした。それが根底にあったからでしょうか、人を笑わせるのが大好きで、とても愉快な人でした。その父のDNAはうちの三姉妹にきっちり受け継がれています。だから私は人を喜ばせたり哀しませるのも自分の心次第で、何も感じてない人は、人を喜ばすことは出来ないと思います。生きることに必死な時代の中で生み出された民藝が、あれだけ素晴らしかったのと一緒ではないでしょうか」

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司馬遼太郎が生前奥様のみどりさんと連れ立って、「上方銀花」にも時々いらしていたという。どうやらお二人の家からの「上方銀花」が散歩コースの途中にあったことと、みどりさんはとても愉快な方だったというから、神立家の人たちとウマがあったのであろう。それを司馬遼太郎は楽しそうに眺めていたらしい。そんなご縁もあって、司馬遼太郎記念館で毎年催されるお茶事に、麻衣さんはお茶を点てに行っている。もちろん、キモノを着て。

麻衣さんは子どもの頃から、洋服やアクセサリーなどの身に着けるモノが大好きだった。もちろん今では陶器や漆器、美しいものなら何でも好きなのではあるが、やはり身につけるものに興味があるという。だからキモノを着ることも全く苦にしない。お茶は16年ほど前から始め、所作も身につけた。

大学では多文化共生を学び、広告代理店に就職した。だが祖父の悦二さんが亡くなる1年前くらいに、「仕事を辞めて、お店を継いでほしい」と言われた麻衣さんは一念発起して、簿記の資格を取ってお店に入ることにしたのだという。それが麻衣さんが29歳の時のことだ。今ではお店の看板娘として、お客様だけでなく、作家の先生方からも愛されている。

初めてお店に行った方には、作家と客とお店の人との区別が分かりにくいかもしれない。しかし私には作品はもちろんではあるが、人が大好きな順子さんと麻衣さん親子の想いがそこに現れているような気がした。

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お話を聞けば聞くほど「上方銀花」の歴史は、神立家のファミリーヒストリーそのものであると感じる。とてもこのスペースでは書き切れないのだが、度々出てくる順子さんの姉とは、東京・銀座にある「一穂堂ギャラリー」の主人・青野惠子さんであり、その娘の祥子さんは「一穂堂New York」のオーナーでもある。一番苦手なことを仕事にしたはずの順子さんではあるが、今では麻衣さんの力も借りて、天職のように見えるのもやはり神立家の血なのであろうか。

(上野昌人)

店名 上方銀花
住所 東大阪市小阪本町1丁目8−12 >>Google Mapへ
電話番号 06-6725-3320
URL https://kamigata-ginka.jp
営業時間 11時〜18時(水・日曜日定休)
アクセス:近鉄奈良線 河内小阪駅下車 南口徒歩3分