目の眼京都迷店案内

其の六拾堤淺吉漆店

2022.02.14

 
 民映研の映画が好きだ。民映研とは民族文化映像研究所の略称であるが、昭和を中心に日本の文化や風俗を克明に記録した貴重な映像の数々を遺している。全118本中、デジタル化された115本は、申し込むと誰でもそのDVDを借りることができる。そして長らく絶版になっていた『民族文化映像研究所作品総覧1970-2005』が改訂新版として、昨年末、はる書房より刊行されたのも嬉しいニュースであった。京都でも「堺町画廊」を始め、いろいろな場所で「民映研の映画を見る会」が開かれているが、「奥会津の木地師たち」は京都リサーチパークで行なわれた木工関係者の勉強会で拝見した。私は友人の伝手でその会に参加し、指物師などの職人さんや漆作家さんたちと知り合うことになるのだが、漆屋の堤卓也さんともそこで初めて出逢った。それが2018年11月のことである。

 堤さんは「堤淺吉漆店」の4代目である。漆屋というと漆器を作ったり、販売するのが仕事だと誤解され易いが、実は漆器の製造元や職人さん・作家さんなどに漆を卸すのが生業である。京都在住の漆器の作り手にお話を聞くと、ほとんどの方が堤さんから漆を購入しているという。
 堤さんは高校まで京都の下京で過ごす。京都で生まれ育った方にはよくある話ではあるが、とにかく京都から出たかったという。動物が好きだった堤さんは北大の農学部に進学する。
「畜産学科で、牛を育てたり、チーズを作ったり、馬に乗ってるうちに自然にどんどん魅せられていきました。畜産の勉強を深めるために、ニュージーランドに実際に行ってみました。そこには北海道より更に人と自然が近い営みがあって、自分たちの暮らしは自分たちで作るという、とても良いバランスで生きていると感じました。卒業後、鳥肉を扱う会社に就職したのですが、ある日京都の実家から電話がかかってきました。うちの商品に「光琳」という特別な精製方法の漆があるんですが、1990年代から開発し、漸く商品化の目処が立った時で、工場の手が足りないので帰って来てほしいというのです。人が困ってる時には助けるのが当たり前だと、北海道やニュージーランドで暮らすうちに感覚が変わっていたんですね、京都を出たかったことをすっかり忘れてました(笑)。一言返事で直に帰ると伝え、残務整理や引き継ぎをして京都に戻ったのが27歳の時でした」。

 帰って来て暫くは京都に馴染めなかったという堤さんだったが、それを救ってくれたのは、一つは漆自体の魅力だったという。
「工場自体が祖父の家なんで、遊びに行ったら漆があるという環境でした。モノが壊れたら漆で直してくれたり、玩具を漆で作ってくれるおじいちゃんは格好いいと思っていたので、もともと漆に対するイメージはとても良かったんです。
 漆が固化しようとしている状態が一番艶かしくて好きなんですが、桶の中で漆が変化していく様子はとても美しいんですよ。工場でひたすら精製をやっていたら、どんどん漆の虜になってしまって。そのうちにモノが人と人との間で出来上がっていくということが、京都では独特なものがあって、そこにも魅力を感じるようになりました。それを遺すための文化があるというのはいいもんだなと」。
 もう一つはニュージーランドで覚えたサーフィンだった。北海道ではスノーボードもやっていたので、NZの南島に行った時にたまたま出逢った人に教えてもらった。今でも休みの日や時間が出来ると人の比較的少ない高知や愛知、福井あたりまで車を飛ばしてサーフィンに行くという。そしてそれがまた堤さんの人生を大きく変えることになる。サーフボードに漆を塗ることを思い着いたからだ。
 事務所に置いてあった2台のサーフボードを見せてもらった。1台は生漆が塗られたもの。もう1台はアライアと呼ばれる古代ハワイアンが乗ってたサーフボードを形を忠実に再現したものに、漆の器と同じように、下地に砥粉を使い、上塗りをしたものだ。生漆が塗られたボードも十分に恰好いいのだが、アライアは更に色の深みがあって本当に美しい。

 堤さんが生まれた40年前には漆の消費量は500トンあったという。それが2020年には30トンにまで減少した。同年の国産漆の生産量は1.8トンであるが、そのうちの1.3トンを「堤淺吉漆店」で扱っている。
「漆というのは人間が手をかけないと育たない木で、日本人が縄文時代から育ててきたという歴史があります。そしてスケボーやサーフボードに塗った漆にもその技術が生かされていると外国の方に伝えると賞賛してくれたり、漆の技術や美しさをとても褒めてくれるんですけれど、それがどうして日本で消えつつあるんだろうと。それが凄く哀しくて。塗師や蒔絵の先生方がその技術を遺そうとして頑張ってくれているのだから、漆屋が出来ることって何だろうと考えた時に、漆の裾野を広げることなのかなと思い至りました」。
 そこで堤さんは漆を知ってもらうため、エンドユーザー向けの商品開発や啓蒙活動に力を注ぐことになる。金継ぎを誰でも簡単にできるようにと、「金継ぎコフレ」という動画解説付きのキットや、轆轤で挽いた木地椀(飯椀用・汁椀用)とセットで「ふきうるしキット」も動画解説付きで作った。他にも色漆、ガラス漆など誰でも漆に楽しんでもらえるような商品開発をしている。
 また子どもたちが木で箸を作ったり、漆を塗るワークショップも開いている。子どもの時から木の道具に慣れ親しんでもらうためだ。自分の作った箸や椀で食事をすると、とても大切にするそうだ。そこから自然への敬意や祈りが生まれるのではないかと堤さんは考えている。
「祈りというのが大切ですよね。お米や野菜など食べるものを作っていると、自然に対して美しいとか怖いとか尊敬の念とかが生まれてきて、自然と手を合わせるようになる。日本人の中に本来そういうものがあったと感じる。手を合わせる対象が御神木や寺社仏閣であり、それを守るために漆がある。京都には祈りの文化がちゃんとまだ遺っていて、途切れていないと思うんですね。子どもの頃は京都の表面の煌びやかなところだけが見えていたり、大人が裏表を使い分けるところが嫌だったりしたんですが、今は尊敬というか、凄いなって思うところがたくさんあります」。

 最近、手仕事にこだわる若い人たちが右京区京北に集まり始めた。京北といえば、平安京を創設するときに木材を供給した歴史ある林業を生業とする山郷だが、山を覆う杉檜は、安価な輸入材や新建材に押され、地域に価値を生み出しにくい状況になっている。堤さんはその京北で松山幸子さんというビジネスパートナーとともに、工芸材料を通して循環的な暮らしを考える「工藝の森」プロジェクトを立ち上げ、漆の樹も植え始めた。
 堤さんは、京北に工房を構える吉田木工さんたちと「/suw」という名の漆のストローを作った。これには杉の端材を使い、「紙出(シデ)」と呼ばれる印刷会社から出る余り紙を使用したパッケージを採用するなど、持続可能なモノづくりにこだわった。
「愛知県でLascaってサーフボードを作ってるホドリゴ松田という友だちがいるんですが、彼の板に一昨年僕が漆を塗りました。それをきっかけにサーフ関係の方たちと繋がりが出来、昨年の夏プロサーファーの石川拳大君、映像家の八神鷹也君制作の「OCEANTREE」Episode2を一緒に作りました。京北産の杉を使って、漆のアライアを制作、伝統工芸や地域の暮らし、森やサーフィンを通じて持続可能な暮らしってどんなことなのかなと考えるきっかけになるような映像です。これから各地で上映していく予定なのでたくさんの人にぜひ見てもらいたいです」。

 漆で何でも格好よく作ってくれた祖父の姿に憧れた少年が、北海道に行ったのもニュージーランドでサーフィンに出合ったのも、京北で漆の樹を植えることになったのも、全て必然であったのだろう。堤さんは漆に選ばれた人なのだと私は想った。

(上野昌人)

店名 堤淺吉漆店
住所 京都市下京区間之町通松原上ル稲荷町540 >>Google Mapへ
電話番号 075-351-6279(代)
URL http://www.kourin-urushi.com/
営業時間 8:50~17:30
定休日:日、祝、第2・第3土曜日
アクセス:市営地下鉄四条駅、五条駅より徒歩10分