目の眼京都迷店案内

其の六拾壱山猫軒

2022.03.14

「山猫軒」といえば、宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』に出てくるお店の名前でもある。私の作業場から歩いて5分もかからない場所にこのお店はあるのだが、もともとはフレンチのお店として、新井奈穂さんのお父様が開いたお店だった。昨年、50周年を迎えたが、「山猫軒」という名前のカフェ・レストランとなってからも30年以上になるという。洛北・衣笠の自然の中に佇む「山猫軒」には、サンルームのような光溢れる入り口のスペースと、アンティークの似合いそうな奥の空間と、その間を繋ぐようにキッチンと書架がある。2つのお店がひとつになったような何とも不思議な造りになっているが、書架には宮沢賢治関係の書籍だけでなく、世界中のアート、白洲正子や骨董関係の本が並び、品の良い家具が備え付けられている。「山猫軒」のように歳月を重ねて来てはいるが、古臭い感じが全くしないお店は珍しいと想う。ここで過ごすひとときは静かで、時が止まったような気がする。じっくりとハンドドリップで淹れた珈琲とチーズケーキを戴くのは、至福の時間でもある。

 「山猫軒」の歴史は、新井家のファミリーヒストリーそのものである。奈穂さんは4人兄妹の末っ子で、子どもの頃から美しいものに囲まれ、両親から厳しい躾とマナーを受けて育った。
「父は昭和一桁生まれでしたが、当時には珍しくアメリカの大学に留学していました。夏と冬の長い休暇に入ると学校からの紹介で、レストランの給仕や家庭教師などのアルバイトをしたのですが、1950年代の頃ですから、東洋と西洋の文化の違いに驚くことばかりだったということです。子どもの頃の私たちは父のそんな話を聞くのが楽しみでした。今では普通のことでしょうが、週末になるとホームパーティを開いたり、クリスマスパーティやハロウィンに招かれたことなど、胸をワクワクさせながら話に耳を傾けました。
 父は帰国後、同志社の大学院に通い、学者になることを希望していましたが、神戸の知人がこの場所を手放したいという話があり、父が引き受けることになりました。東京会館に勤める知人からシェフを紹介してもらい、フレンチレストランを始めましたが折りしも日本はバブルの絶頂期で、軌道に乗り始めた頃、シェフが引き抜かれてしまい営業ができなくなりました。暫くお店を閉めていましたが、建物も痛むので多くの方々のご協力を戴き、カフェ・レストランとして再開することにしました」。奈穂さんが10歳くらいの時のことだったという。


 
「この衣掛けの道にはお店が全くなくて、立地が賢治の『注文の多い料理店』に出てくるお店のイメージに似ていたのと、母が「雨ニモ負ケズ」の詩が大好きだった、と言うこともあり、「山猫軒」と名付けたそうです。玄関と室内には大きなフェリーニの映画のポスターが掛けてありますが、これは美術を専攻していた一番上の姉が留学先のNYから大切に持ち帰ったものです」。
 再スタートした「山猫軒」は、お母様がお店を取り仕切ることになる。
「私も学生時代からお店に関わるようになりました。お菓子作りや料理を学んだ経験を活かし、レシピを考案したり、ケーキを納品するようになりました。母に言われたことは、店がいつも生き生きしていること、味が美味しいこと、新鮮であること、店内が清潔であることなどです。それをずっと大切に守ってきました」。
 奈穂さんも大学生になり、その後、語学留学も果たした。そして、留学をきっかけにご縁のあった立命館大学で働くことになる。
「立命館での仕事は契約期間がありましたので、期間満了と同時に、本格的に「山猫軒」の経営に携わることになりました。いろいろな壁にぶつかりながら、今に至っていますが、喜んでお帰りになられるお客様と接することができるこの仕事を、私は誇りに思います」。
 父が築き、母が繋ぎ、姉妹の協力も得て、奈穂さんが磨きをかけた「山猫軒」の佇まいの美しさは、新井家の絆と美に対する拘りから生まれたものではないかと想う。


 コロナ禍でお店を閉めざるを得ない状況が続いていたが、奈穂さんはその間、どうしていたのだろう。
「閉店中は、ほぼ毎日御菓子を焼いていました。遠くに住んでおられる方から問合せがあり、オンライン販売を始めてみましたが、この2年、多くの方々が応援してくださり感謝の気持ちでいっぱいです。この場所で過ごして戴く時間はとても価値があると思うのですが、ネットでのお菓子のご注文やお店のメッセージの発信なども、努力していきたいと思っています」。
 まだまだコロナ禍も予断を許さない状況ではあるが、奈穂さんのポジティブで明るいキャラクターならばきっと乗り越えることだろう。夜明け前が一番暗いのであるから。

 北野天満宮の南側の小径を入ったところに、佛立ミュージアムという小さな博物館がある。日蓮宗(法華宗)の流れを汲む本門佛立宗(ぶつりゅうしゅう)の仏教系ミュージアムなのであるが、なかなか面白い企画やイベントをおこなっている。2013年10月に「宮沢賢治と法華経展~雨ニモマケズとデクノボー~」という興味深い展覧会がおこなわれていたのだが、私はそこで初めて、賢治が法華宗の門徒であることを知ったのだった。裕福な家に生まれた賢治が、貧しい農民たちとの境遇の違いに幼少時から違和感を持っていたのは有名な話である。
 賢治の『注文の多い料理店』は、37歳で夭折した賢治にとって生前に出版した唯一の短編集である。どんな想いでこの寓話を書いたのか凡人の私には知る由もないが、私にとって「山猫軒」は、仕事が一区切りついてのんびりしたい時や、数少ない友人が訪ねて来てくれた時など、私の取って置きの時に行きたいお店だ。私が「山猫軒」に通うのは、決して食べられたいからではないのである。

(上野昌人)

店名 山猫軒(やまねこけん)
住所 京都市北区等持院北町39-6 >>Google Mapへ
電話番号 075-462-6004
URL https://www.facebook.com/cafeyamanekoken/
営業時間 11:00~18:00
定休日:木曜日
アクセス:京福電鉄北野線龍安寺駅徒歩10分、市バス59番線竜安寺下車徒歩3分