目の眼京都迷店案内

其の伍拾六塩津植物研究所

2021.10.18

 其の伍拾回でご紹介した盆栽研究科の川崎仁美さんの取材時に伺ったのが、今回御紹介する「塩津植物研究所」さんである。京都にも盆栽屋さんは数多あるけれど、種木から育てているお店は珍しく、関西でも少ないそうだ。ということで、「京都迷店案内」なのになんで奈良の橿原やねん!というツッコミを躱すために最初に言い訳をさせて戴いたが、とても大事な仕事をされているので、ぜひ多くの方にこのお店のことを知ってほしいと想う。

「塩津植物研究所」はご主人の塩津丈洋さんと久実子さん御夫妻のお店である。名刺には種木屋とあるから、歴としたお店ではあるのだが「塩津植物研究所」という屋号にはいろいろな想いが込められていた。
 丈洋さんは1984年、和歌山の新宮市で生まれた。高校までは地元で育ち、大学は名古屋芸術大のデザイン学部でスペースデザインを学んだ。最初は建築家に憧れていたそうだ。
「もともと日本建築に興味があって、宮大工の西岡棟梁が好きでした。デザインから建築の世界に入ったんですけれど大学3年生くらいからですかね、皆んな就活し始めるじゃないですか、その時に建築の道に入って家を建てたいとか、空間を造りたいということよりも木自体の、素材としての魅力に惹かれてしまったんですね。それが盆栽へ向かう始まりだったと思います。生で木を扱うことができ、生き物としての木を使える仕事に就きたいって思い始めたんです」。
 そこで丈洋さんは、木を扱う仕事に携わる人たちに片っ端から会いにゆくことにした。その中に盆栽職人の方がいて、盆栽の空間の造り方に一番グッと来たのだという。こんな世界があるのかと。大学卒業後、自分で探した東京の親方のところに住み込みで入り、3年半修業し、独立。2010年、「塩津植物研究所」を立ち上げる。
「最初は僕は、盆栽を作る技術に惹かれました。もともとデザインをやっていたので、造形的な美に惹かれてこの世界に入ったんですけれど、見た目だけではなくて、職人さんたちの凄い技があることに気がついて。この小さな盆栽の中でその技術を使って命をキープするという、それが一番面白いなって思いました。それもあって植物研究所って名前でお店を始めたんですけれど、具体的にいうと盆栽ってただ植物を愉しむだけではなくて、その中で長く時間をかけて人間が作り上げていくものじゃないですか。その不思議さというか、植物の力と人間の手が入ってこの世界が作り込まれるっていう、それがとても魅力的だなって感じました。なので植物研究所を立ち上げたときも、植物を長く育てるというか、植物をどう伝えていくのか。それが一番やりたかったことなんです」。

「塩津植物研究所」のウェブサイトを見ると、「草木の駆け込み寺を目指したい」というフレーズが目に止まった。
「最近は都会を始め、至るところで苔玉や盆栽などを見かけますが、育て方とか伝えられずにただ売られています。盆栽というのは1つのものを長く作っていくというのが真髄ですし、愉しみなんですけれど、それがなかなか伝わっていないということに疑問を抱いて、最初は教室で木との暮らし方を伝えたりしていました。あとはお花屋さんで買ったものを預かってメンテナンスをしたり、祖父さんから受け継いだ盆栽をどうしたらいいのかとかという相談のアドヴァイスをしたり。いろんなシチュエーションで盆栽は時代を積み重ね、次代へ繋げていくものなので、植物を売り買いするのも大切なんですが、それを長く僕たちの世界で作り込んでいくのか、繋げていくのかというところを追究したかったんですね」。
 最初は教室などを中心にそんな布教活動のようなことをしていたので、全然仕事にならなかったという。ところがそういう面白いことを言っている若者がいると、興味をもってくれる人が出始めて、J-waveで「塩津植物研究所」を取り上げてもらった辺りから少しずつアパレルを中心に仕事が増え始める。アパレル業界もファッションから暮らしへとフォーカスし始めた時期であったのだろう、大阪の「かぐれ」で盆栽教室をしないかとお声がかかり、後の伴侶となる久実子さんとそこで出逢うことになる。

「塩津植物研究所」は5年前、2016年に東京から奈良の橿原に拠点を移したが、この年の1月に二人は結婚した。今の場所は久実子さんの祖父さんやご母堂がかつて住んでいたところだったが、祖父さんが亡くなられたあとは長らく空き地のままだった。4代前まで遡ると、ここで井戸水を使って酒造りが行なわれていたほど、水質には恵まれていたようだ。
 久実子さんは大学では英文科で翻訳や通訳の仕事を目指していた。お父上が貿易の仕事をされていたので、物心ついた時から日常の中で英語に触れる機会が多かったという。必然的に海外の仕事に従事するようになるのだが、ある時、よく行っていた「かぐれ」のディレクターの方から盆栽教室に誘われる。
「実際に行ってみたら、とても面白かったんですね。それまで私は海外に目が向いていて、仕事も海外とやりとりする仕事が多かったんです。自分自身も海外で働きたいなと思っていて、転職活動をしていたのが25歳くらいの頃でした。でもそれがあまり上手く行かなくて、これは自分のやるべき仕事じゃないっていうことなのかなと思ったり。改めて考え直してみると、海外に行きたい行きたいって思ってるけど、自分の中でどれだけ日本のことが分かっているのかと言われたら、意外と知らないことだらけだし、そんな状態で海外に行きたいと思っていることが違うんちゃうかなと。ならば日本の工芸や文化とかを改めて勉強してみようかと考えていたタイミングで、その盆栽の教室に誘われました。そのきっかけになるなあと思って参加したのです。どんなおじいちゃん先生が来るのかと思ったら、全然若くて・笑。たぶん27歳くらいだったんですよね。私が25歳の時ですから、2つ違いなんです」。


 橿原に来てから新しく取り組んだのが、生産することである。
「考えていることは最初の頃から同じなんですが、木が好きでずっと触り続けてきたけれど、種から命を生み出すということをやってこなかった、というかやれなかった。やっぱり東京では現実的に土地の問題とか、そういったことがあったので。それがここでは思う存分できましたし、そのためにもこちらに移って来たのですが正解でした。そのタイミングで種木屋という職種を始めたわけです。ここで5年やってみて、植物との暮らしも馴れて来ました。すると見えるんですよね。良い意味で、まだ次のステージがあるんじゃないかと。それに今、挑戦しているところです、僕も変化が好きなので」。
 二人には「楠(くす)」君という3歳になる一粒種がいる。和歌山は南方熊楠の出身地でもあるから、そこから一文字をもらったのだという。子どもを通じて見えてくることも多い。気候の変化や環境問題など、子どもたちが大きくなった時に胸を張って自分たちがやっていることを自慢できるだろうか。
「草木の駆け込み寺」には今日も全国から相談が押し寄せている、それを読むことから二人の1日は始まる。


(上野昌人)

店名 塩津植物研究所(奈良県橿原市)
住所 奈良県橿原市十市町993-1 >>Google Mapへ
電話番号 0744-48-0845
URL http://syokubutsukenkyujo.com/
営業時間 9:00~17:00
定休日:水・木曜日
アクセス:近鉄橿原線新ノ口駅より徒歩15分 ※駐車場スペース4台分有り