目の眼京都迷店案内

其の伍拾参冨田潤染織工房

2021.07.15

 染織家の冨田潤さんとは偶然知り合いのギャラリーで一度お目にかかっただけだった。SNSで拝見する暮らしぶりや作品の数々、その僅かな情報だけでも興味を唆られていたが、7~8年前に出逢って以来、ずっと気になっていた方であった。
 私の住んでいる龍安寺から嵯峨、嵐山を抜けて愛宕山、そして冨田さんの住む越畑まで車で山道を約40分。車を運転するのが好きな方であれば、なかなか運転しがいのあるコースである。高山寺や神護寺の西、愛宕山麓の北西に広がる高原が越畑である。まだ田植え前であったが棚田が本当に美しい。この棚田が一面黄金に輝く景色を想像すると、その頃にまた来てみたいと想う方は多いのではないだろうか。
 冨田さんは1982年に越畑に入られたので、京都暮らしも今年で39年目になる。その洗練された物腰や造られる作品から東京の方だと私はすっかり想い込んでいたが、実は富山の高岡ご出身であった。富山は硝子や銅器などの工芸品が昔から造られ、民藝とも縁の深いところだ。冨田さんの祖父も民藝運動に関わり、画廊を経営していたそうで、物心ついた時には家はいろいろなモノが溢れかえっていたという。

 冨田さんが織りと接点を持ったのは、やはり京都であった。大学の哲学科に入学するが、物足りなさを感じて早々に学校を辞めてしまう。
「やっぱり僕は手で何かを造るのが向いていると想っていたので、折角京都にいるのだからいろいろなモノ造りの人に会って、体験し、ゆくゆくはその途に入っていこうと考えていました。一番最初に会ったのが織りの方でしたが、小谷次男さんという男性でした。僕の中で織物をするのは女性というイメージが強かったので、男性が織りをするのは、ひょっしたら面白いかもしれないと想いました。そこで後先考えずに弟子入りしたんですが、すぐ近所に志村ふくみさんがいらしたので、よくアトリエにも遊びにいきました」。
 小谷さんのアトリエから独立した染織家も多いようであるが、冨田さんは1年ほどでそこを出て自分の機で織り始めた。
「僕も道具がほしいと想い、トラックを借りて、丹波の農家を一軒一軒訪ねていきました。すると使っていない機が一台あったんですね。それを持って帰って小谷さんに見せたら、君は身体が大きいから、自分の身体に合った機を自分で作ってみたらどうかと言われて。そこで機を自力で作ったことが、一番勉強になりました。小谷さんのところにあった数台の機はそれぞれ特長が違ったので、それらを先ず良く観察するということから始めました。どことどこを繋げたらどうなるのかというシステムを理解した上で機の幅を広げたり、高さを上げたり、自分なりに考えて作るいうことを繰り返しました。それが僕の織物の基礎になり、財産になったと想います」。

 その後、冨田さんは京都市内でアルバイトをしながら織物を作っていたが、越畑にある河原家という現存する最古の民家にアメリカ人の陶芸家とフランス人の織り手夫妻が、その当時その家に住んでいた。これが越畑との縁の始まりだったが、冨田さんはそこに通いながら庭の一角を借りて、藍甕を置かせてもらい藍染めをしていた。ひょんなことからそのアメリカ人の紹介で、2年間オーストリラリアの工芸研究所にウールの勉強をしにいくことになったが、やはり実際に行ってみると本場のイギリスに行って勉強しないとダメだと気がついたという。
「イギリスの大学に行った方がいいという人の奨めで、自分の履歴書と作品を送りました。学生として勉強したいがお金がないので、日本の絣織りを教えることができるという交換条件を書いて送ったら、日本では考えられないようなことですが、学生として受け入れてくれました。しかも週一の非常勤講師として雇ってくれることになり、本来は基礎科で1年勉強した後、3年勉強するコースなんですけれど僕のためにオリジナルのカリキュラムを組んでくれ、それを2年で修了し、卒業証書ももらいました。このオーストラリアでの2年とイギリスの3年間は織物三昧の生活でしたが、その結果、自分の中でこれをやって行こうという道筋が見えてきたのです。それが30歳の時です」。

 1982年の正月に冨田さんは越畑にやってきた。
「イギリスから帰ってきて、まずは住むところを探しました。世話になったアメリカ人陶芸家へ挨拶にきたら、たまたま今のこの家が空いてるということが分かり、それで即決して借りました。築100年ほどの建物ですが、20年近く誰も住んでなかったんですね。でもこの立て付けの水屋を見て、綺麗やなと想って。それで決めたんです」。
 冨田さんはアフリカや中南米のモノが好きだという。そしてそれは作品にも現れている。
「僕の場合、色をどうするのかというのが表現上の大きなテーマとしてあります。よくぼーっとする時間があるんですけれど、山を見ていてもどんどん色が変化していきます。僕が山を見てぼーっとする時間があるように、僕の作ったタピストリーを部屋に掛けて、同じようにぼーっとしてもらえたらいいなと。その時間の中で自分を振り返ったり、自分を見つめ直すとかそういう時間を持ってもらえるようなモノを作りたい。パッと見て、あ、これねって分かってしまわないようなモノを作れたらいいなと想いますし、部屋の中で存在をあまり意識しないモノを作るようにしています」。

 冨田さんは今、越畑で新しいことにチャレンジをしようとしている。
「それまで一軒家を借りてアシスタントの寮にしていたのが、雨漏りし始めたんですね。たまたまその時、格安で民家が売りに出ていました。土地も広く、納屋もあって。結局その物件を購入し、直して今は寮にしました。お客さんが来て泊まれるスペースとしても使えるし、織を置けば仕事も出来ます。ワークショップやオープンスタジオをしたり、将来的にはそこを使って、アーチスト・レジデンスができるようにしていきたい。そして僕の想いを引き継いでくれる人たちが集まって、暮らしと仕事が一体になった場所にしてほしいです。先ずはその第一歩を踏み出したいと想っています」。
 以来39年、冨田さんはこの越畑の自然とともに生きている。そしてタピストリーやラグも織るし、10年ほど前から帯も注文で織っているという。朝夕に犬と散歩をし、四季の花を愛で、時に野菜も作り、食す。自然と暮らしと仕事が1つになり、その中に暮らしと美がある。作品は限りなくモダンなデザインと色の組み合わせでできているが、芯には民藝の思想があり、そのモティーフは案外冨田さんが毎日見ている越畑の風景なのかもしれないと私は想った。

(上野昌人)

店名 冨田染織工房
住所 京都市右京区嵯峨越畑兵庫前町36 >>Google Mapへ
電話番号 0771-44-0555
営業時間 ※見学等は事前にご連絡ください。
アクセス:JR嵯峨野線八木駅より、京阪京都交通バス原ゆき越畑下車徒歩5分 あるいは車で京都縦貫道・千代川ICより30分、嵯峨鳥居本より40分