目の眼京都迷店案内

其の伍拾弍SAYURA(サユラ)

2021.06.15

 仕事柄いろいろな人からお話を聞く機会があるが、どんな人の人生も一本の映画になるのではないかとよく想う。結構ドラマチックな人生を必死で生き抜いている方もいれば、坦々と一見あまり変化のないような常の暮らしを重ねている方もいて、夫々の方とイメージが重なる映画を想い出すことができる。最近は映画館に行くことも年に2、3度という体たらくではあるが、20代のある時期、私は映画館に通い詰めていた。その頃は年間150本くらいは映画を観ていたのだが、その中にヴェルトラン・タベルニエ監督が1984年にリリースした「田舎の日曜日」という映画があった。フランスの田舎に老夫婦が住んでいる。その二人のある1日を描いた映画なのであるが、日本でも、いや世界中のどの家庭にもありそうな話だ。ただ、本当に映像が美しい。それは印象派の絵画をそのまま映画にしたような美しさで、主人公はこの田舎の風景と光と影、と言ってもいいくらいかもしれない。今でも大好きな映画の一つである。


 祇園花見小路を建仁寺に向かって下がっていくと、祇園甲部の歌舞練場が東側にあり、その向かいの南西側角には萬葉軒がある。その北側にひっそりと「SAYURA」はあった。昼間は提灯も出ていないので、お店であることさえよくわからない。私はお酒が飲めないので、ほとんど酒場に足を運ぶこともない。それでも10余年京都に住んでいると私のような無粋な者でも、いろいろなお店に連れていってくださる奇特な方がいるから本当に有り難い。「SAYURA」はワインバーである。しかもシャンパーニュとブルゴーニュしか置いていない。ご主人は竹井瞳さん。先斗町でお店を始めたのが2004年、そして今の場所に移ったのが2009年なので通算すると17年になるという。竹井さんは一体どんな人生を送ってきたのだろうか。
 お父様は外資系の会社に勤めるビジネスマンだったので、ごく普通の家庭に生まれ育ったという。美術大学ではデザインを学んでいたが、ベルギーやパリに短期留学をしていたので、必然的にフランス語を学び、フランスの文化に触れた。その頃からフランスやその香りがするものが好きだった。
「今でもそうかもしれませんが、私たちの時は美大出ても就職先なんてなくて、ほとんど限られた職業に就くしかありませんでした。それもあって、自分でお店を始めることにしたんです」。それが先斗町の最初のお店である。

 京都はいろいろな意味で、若い人でもお店や会社を起業しやすい。人やご縁の繋がりで、びっくりするくらいの好条件で場所を借りることができたりする。とはいえ20代前半の女性がお店を開くのはそれなりの苦労があったに違いない。先斗町のお店は路地の1階にあり、隣の店のカラオケが聴こえてくることもあったという。その店を可愛がってくれていた方もたくさんいたが、自分自身は何も変わっていないのに、移転とともに離れていったお客様もいたそうだ。別れもあれば、また新しい出会いもある。竹井さん、28歳の時のことである。
「お店を始めて3年目くらいに、ブルゴーニュに日本人の造り手さんがいて、その方のお子様の部屋をお借りして居候させてもらいました。お店は3週間から1カ月くらい休みをもらって。そこをお手伝いさせてもらいながら、まだスマホもない時代でしたし、言葉も分からないので一緒について来て戴き、いろんな造り手さんの処を回ったりしました」。
 その時代に得たものが本当に大きかったと竹井さんは仰る。ペーパードライバーだった竹井さんは国際ライセンスを取り、自分でアポイントを取りながら驚くような人脈を作りあげていくことになる。
「もちろんご紹介いただいたり、自分でもメールを書いたりとかしましたが、有名な会社のオーナーさんのおうちでデジュネさせてもらったり、奇跡というかあり得ないことが次々と起きました。自家用のワインをお土産に戴いたりしたのですが、その方が、僕は苔になりたいくらい日本の寺が大好きだ、というちょっと変わった方だったので親切にしてもらえたのかと。そういう体験のお蔭で、皆んながソムリエ試験で必死で覚えるようなことが勝手に身についていました。でも帰ってきてからお客さんに、ソムリエでもないくせにと叱られて試験を受けましたが。そんな事もありました」。
 またこんなこともあったという。
「どんどん車で郊外の露地奥まで入っていったりすると、アンティーク屋さんがあったりします。お店に入ると気品があって、なんだかお淑やかなマダムがいて。私の畑の葡萄であの人にワインを造らせてるのよ、みたいな感じで優雅にお話される方でした。ブルギニオン達はブルゴーニュワインのように洗練された人が多くて、ボーヌのワインバーに行くとパリよりもお洒落な人がたくさんいます。フランスの田舎の中でもまた特殊で、南仏ともちょっと違うし」。

 そんな経験を重ねながら、2009年今の場所にお店を移す。順風満帆のように聞こえるが、2年前に大病をした。治療をしながらお店に立ち、直りかけた時にコロナ禍がやってきた。
「この間歩いているときにふと、営業もままならないし、コロナでフランスにワインを仕入れにいけなくて大変なんですけど、私って幸せやなと想ったんですよ。こんなにやりたいことがまだまだあって、友だちもいて。何より私が選んだワインを愉しみに、お店に来てくださるお客様がいるのでありがたいなと。今、やりたいことやこれが好きだということが無い人が意外に多いじゃないですか。ですから今、目の前にあることに真摯に向き合って、 挑戦を続けたいと覚悟を決めました」。
 京都でワインバーをするというのは、どういうことなのだろうか。
「昔から京都ではワインバーとフレンチは流行らないといわれてますが、いいワイン飲めるお店って意外と少ないんですよね。私は上質なワインをあえてなんでもないシンプルなお料理で戴くのが最高の贅沢な気がして大好きなんです。美味しいワインを全身全霊で味わって戴ける、私はそういうお店にしたいなと。
 最近ワインをファッションみたいに捉えて、ナチュールワインや無添加のものを飲むことがいいという風潮がありますが、それはそれでいいんですけれど、私にとってはワインは特別な飲み物だという想いがあるので無添加とかよりも、美味しいのが一番であって欲しい。そして理由もなく心が満たされるものがいいワインだと想っているので。やっぱりブルゴーニュとシャンパーニュは特別です。ワインって美味しいものは本当に高価なので、お客様の間口は狭くなっていきます。でも逆にニッチなことをしていた方がコアなファンがついて来るかな、という確信はありました。東京や海外への憧れはあるけど、私はやっぱり京都が好きなので、ここで世界中からたくさんのワイン好きが集まるようなお店になれればいいなと想っています」。

 ワインと骨董は似ている。味わうと心も身体も悦ぶからだ。骨董もそうだが、溺れてみないとわからないこともある。そして竹井さんの話をお聞きしていると、一本のフランス映画を観ているような気がするのは私だけだろうか。その場面々々の映像が瞼に浮かぶ。しかし映画には終わりがあるが、現実はこれからも続く。だからこそ「SAYURA」のようなお店が必要なのではないだろうか。(写真:吉川幸宏〈f8〉)

(上野昌人)

店名 SAYURA(サユラ)
住所 京都市東山区祇園町南側570-120 >>Google Mapへ
電話番号 075-551-1599
URL http://sayura-vinfin.com/
営業時間 20:00~24:00ぐらい 不定休
初回の方はご紹介が必要です。 緊急事態宣言及び蔓延防止条例発布の場合は営業時間変更の場合あり。
アクセス:四条花見小路下ル祇園歌舞練場向かい