目の眼京都迷店案内

其の伍拾緙室sen(かわむろ せん)

2021.04.12

 嘗て銀座一丁目に「無境」という画廊があった。今はもう画廊も店主もこの世には存在しないのだが、多くの人の心に爪痕を遺している。魯山人や茶道具などの古い物を扱いながら、才能ある若手作家を見つけてきては展覧会をおこなっていた。その若手の作品と魯山人の書を組み合わせたり、現代美術と古いモノを合わせて茶席に設えたり、「無境」の名に違わぬ自在ぶりであった。ロベール・クートラスも今ではすっかりメジャーになったが、一番最初に見たのは「無境」だったような気がする。そんな画廊であったからクリエイティブな仕事に関わるたくさんの人たちがここに集い、サロンのようになっていた。私もここで知り合い、今でも付き合いが続いている知人が何人かいるので、折に触れ「無境」の話が出ることもある。それほど強烈な印象を遺した画廊であった。
「緙室sen」の千原啓子さんともこの画廊で出逢った。戴いた名刺には京都と東京の住所が併記されていて、そのはんなりとした雰囲気から京都生まれの方だとすっかり思い込んでいた。今から15、6年ほど前のことである。

 千原さんは四姉妹の末っ子として奥能登で生まれ育った。子供の頃は特にクリエイティブな環境ではなかったと仰るが、お姉さんたちの影響でビートルズが好きだったという。親元を離れて、高校・大学と東京でデザインを勉強することになるが、世代的にもファッションが一番元気だった頃である。街も若者のエネルギーに満ち溢れていた。新宿はサブカルチャー全盛時の舞台でもあり、いろいろなデザインの影響を受けたことは想像に難くない。卒業後、商社のデザイン企画課に就職し、日本と海外を行き来していたという。もちろん衣料も扱っていたが、この時にバッグなどの革製品と運命の出合いをすることになる。
「 一番惹かれたのは肌触りというか、温もりでしょうか。動物から授かった命を皮から革へと成形します。革を柔らかくと書いて鞣(なめし)と呼び、鞣す技術者はタンナーと呼ばれるが、念入りに打ち合わせをします。鞣しの現場はプロダクツの原点ですが、かなりハードな現場です。 
 国内外の現場に出向き、ハードな部分もたくさん見て来ましたが、職人に支えられ、そして教えられて今日があります。太古のエジプト文明から動物は神に捧げられ、そのお下がりである食するもの、身に纏(まと)うものは人間が生きていく原点であり、必要不可欠なものです。歴史を感じながら温もりも感じつつ、虜(とりこ)になっていった気がします」。
 もともと手仕事や工芸は自然と直結していた。やきものであれば、土を採り、水簸(すいひ)し、捏(こ)ね、轆轤(ろくろ)や手捻りで成形し、穴窯や登り窯で焼いた。今は全国どこにいても土を取り寄せ、成形し、瓦斯(ガス)窯や電気窯でも作ることが出来る。便利なものは使えばよいと想うがその一方で、自然からは少しずつ遠のいてしまっている気がする。自然から遠のくということは、神から遠のくということだ。京都のおだいどこには大抵「火迺要慎(ひのようじん)」のお札が貼られ、やきものや刀など火を使う処には、神棚が必ず置かれている。常の暮らしの中に神は存在しているが、それでも少しずつ遠ざかっているのではないだろうか。その意味でも、革は一番自然に近いモノと言えるかもしれない。

 結婚後、一旦は革から離れた千原さんでは あったが、 20年ほど前に大学時代の友人と再会し、互いに目指して来た仕事の話をする機会があった。その時、やはり革の仕事をまたやろうと想い立ち、気が付くと事務所を借りていた。そこからの7年間が人生で一番のたいへんな時期だったそうだ。ブランクを乗り越えるために、また一から仕事と向き合い、精神的にも肉体的にも自分を追い込み、夜も眠れない日々が続いたという。
「スタッフを4人と職人を抱え、人を使う責任感と仕事をくださった企業へ提案したモノをきちっと渡すという責任感。それはただ勤めて、仕事していた時の責任感とは全く違うものが身についたと思います。今の私にとってはそれがなければ、ここまで来ていなかったかもしれません。京都では一人で何かをしていても、ぶれなく、貫き通す精神があれば生きてゆける。小さい商店から老舗へと繋がりは時間は掛かりますが、それもまた私にあってるような気がします。6年前この場所にご縁をいただいたのも、私の活動を認めていただいた証かも知れません」。
 多分この一番たいへんな頃に私は東京で千原さんにお目にかかっているのだが、そんな感じはおくびにも出しておられなかった。今時、昭和的な根性論は若い人たちには響かないかも知れない。しかし千原さんのような、洗練されたお洒落な方が仰るとグッとくるものがある。モノづくりに関わる方はこうでないといけないと私は想う。

 千原さんは暮らしの中で、もっと革を使ってほしいと想い、いろいろな試みをしている。昨年末におこなわれた「自在に緙ぐる~秀麗なる革の貌(かたち)」展は、表具師の村山秀紀さんとのコラボレーションした展示会であった。
「皮革というモノの枠を外したいと想いました。革には木や土や骨董という世界と同じくらい、もっと生活の中に溶け込むモノがあるんです。それを私が今まで観て来た世界で、その皮革美というのをもう少し設えの中に入れていきたい。それができるのは表装も現代アートのことも熟知していらっしゃる、村山さんだと。村山さんなら絶対できるとお願いして、敷板を作るところから始めました。そこからは楽しかったですね。革が段々と表現されたモノになり、空間の中に広がっていく。そして、それが美しい空間を創り出すということに時間をかけました。私はこの革を使ってほしいとお願いするくらいで、あとは村山さんがそれを見事に表現してくださいました。新しい第一歩を踏み出せたかなと思っています」。

 緙室とは世界中から選び抜いて蒐めた上質の皮革を、大切に保管する場所のことだそうだ。ファッションには疎い私ではあるが、手元にはある方から頂戴したsenさんの白い数寄屋袋がある。とても美しい。私はお茶をしないので使う場面は中々ないのだが、時々取り出しては触ってみる。すると若くして逝ってしまった友人のことを想い出す。その人は白の鞣革を使って、バッグや靴を作っていた。革に触れると懐かしい気持ちになるのは、もう逢うことが叶わない人と会話ができるからかもしれないと私はふと想った。

(上野昌人)

店名 緙室sen(かわむろ せん)
住所 京都市東山区祇園町南側581 ZEN2F >>Google Mapへ
電話番号 075-533-8144
URL http://kawamuro-sen.com
営業時間 12時~18時30分 月・火曜定休
アクセス:京阪祇園四条駅から徒歩3分。阪急京都河原町駅から徒歩10分。