目の眼京都迷店案内

其の四拾六昂KYOTO(こう きょうと)

2020.12.14

 ほぼ埼玉と東京を行き来しながら生まれ育った私にとって、京都住まいはまるで憧れの土地に観光でやって来てそのまま住み着いてしまったという感じであろうか。大阪で大学時代を過ごし、何時かは関西に住んでみたいと漠然と考えてはいたが、本当に京都に住む事になるとは自分自身が一番意外に想っている。気がつけば京都に住民票を移して13年。もう13年なのかまだ13年なのか、良くは分からないのだが、出張から帰って来て京都タワーを見るとほっとし、真っ先に烏丸七条の王将に寄りたくなるのも習い性になった。もちろん何年住もうが京都人になれるわけでもないし、永遠に「他所さん」で構わないのだが、どうしても苦手なものが一つだけある。それは京都生まれの女性、つまり京女へのコンプレックスなのである。会話をしていても、どこか話が噛み合っていないというか通じていないような気がして、いつも隔靴掻痒の想いがしてしまう。

 昂(こう)と読む。昴(すばる)と字がよく似ているが違う文字である。気持ちが昂ぶることを「激昂する」というが、「たかぶる」という意味で度々使わられる。キリッとした形の文字だと想う。これが名前になると「あきら」と読む場合がある。今回取り上げさせて戴く永松仁美さんのお父様も昂(あきら)というお名前であった。過去形なのはすでにお亡くなりになられているからである。
 永松さんはご両親が古美術商という少し変わった環境の中で、京都に生まれ育った。子供の頃から私学の小中学校に通っていたので、近くには友だちがあまり居なかった。京都で公立に入ると、小学校から高校まではずっと同じ仲間と一緒である。昔の番組制度の名残なのであろうが、京都に住んで驚いたのは「学区どこ?」と聞かれることである。そのくらい学校と地域との繋がりは深いのである。永松さんは一人、建仁寺や青蓮院へ自転車で遊びに行き、妄想ままごとなどをしていたそうだ。
 絵を描くのが好きだった永松さんは嵯峨美術短期大学に進学すると、ビジュアルデザイン科で写真を撮ったり、イラストを描いたり、いろいろな表現を勉強できて、とても楽しかったという。ふつうならそこで表現者の道を選ぶのであろうが永松さんは違った。「卒業してすぐに結婚しました。20歳ですね。両親に高校生の時からお見合いしろと言われてましたから、心配やったんちゃうかな。今となっては総てが早くすますことが出来て、良かったのかもしれないとは想いますが」。


 その言葉通り、子育てが一段落したあたりから何か表現したいという気持ちが湧き上がって来るようになったが、やはり永松さんの中には古美術商の御両親の血が流れていたのかもしれない。自分が良いと想えるものを多くの人に伝えたいという気持が強くなり、お店を始めたのは2008年のこと。自分の好きなフランスやイギリスのアンティークとお母様から借り受けた骨董品などを並べて始めたお店が「tessaido annex 昂」で、前年に急逝したお父様の名前を冠にした4坪ほどの小さなお店だった。
 在る時、永松さんが目利きだと信頼する友人から紹介されたのが、陶芸家の辻村史郎さんとそのご子息の辻村唯さんであった。これがこれ以後の永松さんの方向性を決めることになる。「古いモノだけが良いモノだと想っていた人間に、同じ今の時代に生きて、良いモノを作る作家の一所懸命仕事してる姿を観たら感動するからといわれて、作家の住む奈良に連れて行ってくれたんですね。衝撃でした。まずお父様を紹介して戴いたんですけれど、私のところには唯さんがたぶん合うからと一回行ってみたらと勧められて。そこで唯さんに逢いに行き、有り難く展覧会をして戴けることになりました。ところが展覧会で作品を何百点って持って来てくれることになるのですが、お店に入り切らないんですよ。そういう打ち合せの仕方も分からなかったんです。古美術今出川さんがギャラリースペースを持っておられたので、無理を承知でお願いして大壺を並べさせて戴きました。いきなり二カ所で展覧会をするという無謀なスタートになりましたが、皆さん温かく引き受けてくださり、今でも忘れることのない感謝多き思い出です」。

 最初にお母様から言われていたことがあった。それは「被る仕事をしてはいけないと。その被るという意味もよく分かっていなくて、売るモノだけではなくて仕入れ先を一緒にしないとかそういうことも言いたかったのかなと今ならわかります。ただ私は自分の力でやると決めていたので、関係ないと反発した時期もありました。とりあえず母屋と被ることはするなと。でもそのお陰で友人からいろんなアイディアを貰えたりして、その中で切磋琢磨できたので却って良かったなと今では想います」。
 お店の名前を「昂KYOTO」と改めたのが2012年のことである。鍵善良房が営むZEN CAFEのオープンに伴い、鍵善の社長・今西善也さんからご縁を戴き、6年前に今の場所に越して来た。2人は同じ歳でもあるし、昔からの幼馴染なのかと私は想っていたが、実はこの時からのつき合いなのだという。 
 今では永松さんのセンスに魅せられたファンが、全国津々浦々から祇園にやって来る。「目の眼に載っているようなお店に行かれるような方の一つ手前の段階のお客様に、私と同じような主婦や若い方も多いのでジャンルを問わず、暮らしの中で使える道具の楽しさを伝えていけたらいいなと想っています。例えば何か一つモノを手に入れたら、それを敷くモノが欲しくなる。もちろんランチョンマットでもいいけれど敷板やお盆もありますよと。それらがあると焼きモノだけではなくガラスや漆の器でも合うし、お花も映える。一枚の敷板がきっかけとなり、骨董やアンティークを本気で好きになる人がその中から一人でも多く出て来てくれれば嬉しいです」。

 永松さんは母性の人だと私は感じた。作家だけでなく友人たちに対しても、はっきりものをいう。「こうしたらあかんえ」「こうしたほうがいいんちゃう」という、それは自分にとって大切な人への愛情表現の発露ではないだろうか。見てしまったら、見て見ぬ振りはできない。それが誤解を生むこともあるのも承知の上で助言する。勿論、反対の立場も日常で人の人生に関わるということは面倒なことが多いが、敢えて口を挟むのは愛情があるからだ。どうでも良ければスルーすればいいだけのことなのだから。
 こんな男前の永松さんを前にすると田舎者の私はいつもドギマギしてしまう。大阪のおばちゃんは全く大丈夫というか、むしろ得意なのだけれど、京都の女性はやっぱり苦手なのである。だから街中などでバッタリ出くわすと、虚を衝かれて一瞬声が出なくなる私を横目に、永松さんは颯爽と歩いて行ってしまう。その後ろ姿を眺めながら、やっぱり敵わないと想う。それはやはり人として、生きる覚悟が在るかないかの差なのかもしれない。父の名前を背に、母の言葉を胸に、永松さんは今日も自分の信じた道を歩いていく。

(上野昌人)

店名 昂KYOTO(こう きょうと)
住所 京都市東山区祇園町南側581 ZEN 2F >>Google Mapへ
電話番号 075-525-0805
URL http://koukyoto.com
営業時間 12:00~18:00
定休日:月・火(不定休あり、webなどで御確認ください)