目の眼京都迷店案内

其の四拾四ゲストハウス&サロン 月と

2020.09.11

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 何年前のことだろうか、木皿泉という脚本家の「すいか」というドラマを視た。生きるのがあまり上手くなく、いろいろな事情を抱えた女性たちが三軒茶屋の外れの古い瀟洒な一軒屋に暮らす日々を、芸達者な俳優たちが見事に然もありなんという感じで演じていた。私は男ではあるがこんな下宿があれば住んでみたい!と想わせてくれるようなドラマであった。今でこそシェアハウスなどという言葉も普通になったが、私には下宿という方がしっくりくるような不思議なドラマであった。

 私の数少ない友人の一人に、Tさんという多芸多才な方がいる。もともとは某放送局の社員であったが、あまりに才能があり過ぎて、会社の枠に収まり切れなかったのではないかという御仁であるが、刮目したのは彼が彫った面(おもて)である。本業があるので余技というしかないのであるが、余技という言葉ではとても収まり切れない才能の持ち主だと想った。ある硝子作家の方の展覧会で知り合ったのがきっかけだったが、私はこの才能溢れる歳下の友人のすっかりファンになってしまった。

 そのTさんからある日、ビブリオバトルをするので来ないかというお誘いがあった。きっと何かしら魂胆があるのだろうと想い、行ってみることにした。会場は熊野神社側にある「月と」というゲストハウスだという。当日はTさんの友人を含め個性的な面々が集っていた。その時、初めて「月と」にお邪魔したのだが、とても初めて来たとは想えないような既視体験をしたのだった。ゲストハウスになった町家は明治時代に出来たそうだが、其処此処に古美術品が飾られて往時にタイムスリップしたような趣の建物だった。

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 オーナーの山内マヤコさんは京都生まれだが、育ったのは東京の人形町。水天宮の傍であったという。大学では哲学を学び、サルトルとボーボワールを卒論にするような学生だったらしい。京都大学との交流会でも、担当の教授に気に入られてよく食事にも連れていって貰ったと仰るから、きっと才気溢れる女学生だったのだろう。卒業後、Webサイト「エル・ジャポン」(エル・オンライン)のジェネラル・プロデューサー(編集長)もされていたのもその影響であろうか。1970年頃から、『流行通信』という雑誌が若い女性たちの間で流行っていた。ファッション誌ではあったが、哲学やアート、サブカルチャーの記事が満載で、その頃大学生だった私もいつも読むのが楽しみであった。やがてここから『Studio Voice』も生まれることになるのだが、この当時の雑誌はクリエイターの活躍の場でもあった。『エル・ジャポン』もハイファッションのカルチャー誌であり、その編集と聞けばかなり激務であったろうと想われる。そんな山内さんがなぜ京都でゲストハウスを始めることになったのだろうか。

 今、「月と」がある町家にはその当時お父様が住まわれていたのだが、ご病気で急逝されてしまい空き家となってしまった。その時、山内さんは東京に住んでいて、この家を片付けるために週末通っていたという。もともとこの町家は明治時代に建てられ旅籠として遣われていたものを、山内さんの祖父母が住まわれていたが、二人では広過ぎるということで下宿にしていた。その時に画家や京大病院に勤めていた方などがお住まいになっていたので、ここに絵や掛け軸などの古美術が遺ることになった。きっとたくさんの芸術家や文化人が出入りして、賑やかなサロンであったのだろう。今も「月と」に遺っている写真には、お洒落なお祖母様の姿や当時の様子が色濃く投影されている。

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 「月と」というネーミングも面白いと想った。「月と」という屋号は、祖父母が親交のあった谷崎潤一郎の『月と狂言師』から頂戴したのだという。三日月ではなくて、満月の丸、円満。ここでご縁が生まれるといいなという想いから名付けた。「コロナ禍の今だから余計そう思うんですけれど、自分の心が豊かで強くないと生き残れないし、人にも優しくなれないですよね。未来に向かっていくためのきっかけになる場所にしたいなと。丁寧にお茶を淹れて一昔前のカップでお出しするとか、泊まって戴く部屋にも古い掛け軸を出して、古美術にも興味を持って戴けるような場所にしたいと思っています」。

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 昔、旅籠や下宿であったというこの大型の町家は面白い造りをしている。ドアはないが個室のように区切られた和室がたくさんある。これだと常に誰かの気配や息づかいを感じることができる。始めたばかりの頃は誰もいないと怖かったが、ここ暫くは淋しくてしようがなかっと山内さんはいう。しかしコロナ禍は悪いことばかりではなかった。

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 「私はコロナで自分を大事にするということの大切さに初めて気がついたんですね。ボランティアをするのも好きですし、人に尽くすのが好きなんですけれど、尽くし過ぎて自分を見失ってはいけないなと。外国人の方やいろんなお客様が来てくださって、凄くよかった、と云ってくれるのがとても嬉しくて無我夢中で毎日過ごしていました。それがゲスト中心にやっていたら今回のように誰も来なくなった時に、自分というものが無くなってしまっていたことに気づきました。自分に芯が無いと人に優しくできないし、今は自分を慈しむ時間をたくさん創ることが大事かなと。古美術を愛する方は人をもてなすためにモノを買うのではなくて、自分と向き合い自分が楽しむために酒器を買ったり、茶器を買ったりしているんじゃないでしょうか。コロナ禍の中で私が得たものですね。断捨離って調子に乗ってやりすぎると、大事なものまで棄てそうになりますから」。

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 今は「月と」を学び舎にしたいと山内さんはいう。「コロナになって一旦はみんなと会うことは出来なくなってしまったんですけれど、人と会って話するのがやはり楽しいですし、早く皆さんと一緒に笑い合えるようになりたいです。自分を高めて貰えるのはやはり人だと想いますし、蘊蓄でいいなと想うんじゃなくて、お互いに見て教え合ったり、いいですねと褒めてもらったり。そういう楽しみ方が私の古美術との付き合い方です。ずっと空き家になっていた時に真っ黒になって燻っていたものや、箱に入っていたモノもそれずっとそのままにしているのは勿体ないじゃないですか。やっぱり皆んなで一緒に見たいし、皆んなで愛でたい。できればお酒を一緒に飲みたいと思います。日本酒大好きですから・笑」。

 こんな素敵な大家さんならば件のTさんも誘って「月と」に下宿させてもらおうかと一瞬考えたが、きっと仕事にならないのでやはり無理かもしれないと私は想い直した。

(上野昌人)

店名 ゲストハウス&サロン「月と」
住所 京都市左京区聖護院山王町19-7 >>Google Mapへ
電話番号 075-771-2258
URL https://tsukito.jp
※予約は電話か「月と」ホームページよりお願いします